「『金閣寺・銀閣寺の住職が教える 人生は引き算で豊かになる』を読んだ感想!自分を振り返りたい、心をリセットしたい人にオススメ!」
『金閣寺・銀閣寺の住職が教える 人生は引き算で豊かになる』は、臨済宗相国寺派第七代管長であり、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)の住職でもある有馬頼底さんが書いた本です。
人の心には常に「あれがしたい」「これがほしい」といった欲や執着があるのではないでしょうか。
日本を代表する僧侶から、そんな欲や執着から離れて
「得るよりも、先ずは手ばなす。そのことで、人生はラクになり、いつの間にか、幸せを手に入れる」
そんな方法を学ぶことができます。自分を振り返り、心をリセットしたい人、気持ちを引き締めたい人にオススメです。
Contents
何か一つを手にしたら、すぐに「捨てて」次へ行く
執着心を捨てるには、
偉業であれ、評価であれ、名誉であれ、金銭であれ、何か好事が起こったら、それを自ら打ち砕き、次へ進む意識を持つことが大事
だということです。
誰でも何か良いことがあると嬉しいし、そんな良いことが起きたらいいなと願うものではないでしょうか。
ですが、禅の世界では
「好事不如無(こうずもなきにしかず)」
という言葉があるそうです。
これは
「どんな良いことでも、無いに越したことはない」
という教えです。
良いことが無いにこしたことはないというのは、ちょっと理解しがたいと思うかもしれません。
有馬さんによると、簡単に言えば、この教えは
良いことが起こったとしても、それに囚われ、執着してしまえば、それはすでに「良いこと」ではなくなる。
そんなものなら、初めから起こらないほうがいい
ということなんです。
本書では、宝くじを当てた人が、後の人生を狂わせてしまう例などが紹介されていますが、
好事が起こったときというのは、じつはその人の人間性が試される瞬間でもある
というんです。
宝くじでなくても、自分の仕事や趣味などが認められ評価されるようなことがあるかもしれません。
そんなときに「自分は偉い」と勘違いしたり、謙虚な心を忘れたり、もっと認められたいと強欲になってはいけないということです。
大事なのは、何か一つ好事があったら、それに囚われることなく、すぐに捨て、淡々と次に向かっていくこと
なんです。
確かに自分に良いことがあったとき、傲慢になったり、強欲になったりするのは良くないことだと考えます。
けれど、そうなってしまうくらいならば「良いことがないほうが良い」とまでは、考えたことがありませんでした。
良いことが起きたときに、自分が試されているというのも納得できる考え方で、忘れたくない心がけだと思いました。
一章では「こだわらない、とらわれない」として、執着心を捨てる練習について、紹介されています。
自身の考え方に固執している頭や心に効く言葉が詰まっています。
「何もしない」という生き方をする
有馬さんは、
何かを求めるでもなく、自分を虚飾するのでもなく、ただ淡々と「何もしない」という生き方
そんな生き方を実践して欲しいと話しています。
「無事是貴人(ぶじこれきにん)」
という言葉は、禅語の中で特に有名なものの一つだそうです。
ここでの「無事」とは、
「ただ、造作すること莫れ」ということであって、つまるところ「何もしない」という意味
です。
「仏の道を歩み、悟りを得るというのは、何もしないということだ」とこの言葉は説いている
といいます。
有馬さんは、この
本来の美しさというのは、何もしない、ありのままの姿にこそある
という「無事是貴人」の教えは、人間性という意味においても同じではないかと言います。誰でも、お金持ちになりたい、きれいにあるいはかっこよく見られたいと考えるものではないでしょうか。
そのために過度に自分を着飾ったり、地位や名誉を求めたりすることがあるかもしれません。
けれど
本当の魅力は「あるがままのあなた」にあるのです。
つまり、それが「何もしない」という生き方なのだと思います
ということです。
この「何もしない」ということは、怠惰な生活を送るという意味ではなく、
目の前の日常をありのままに受け止めて、淡々と、自然にまかせて、懸命に生きること
を言っています。
ここに書かれている
「何もしない」という生き方
は、最もそうできたらいいなと思うことで、最も難しいことのように感じました。
自分をよく見せたい、もっとよくなりたいと思うことは、悪いことではないと思いますが、本質を忘れずにいる生き方が大切だと思いました。
二章では、「飾らない生き方がいい」として、足るを知る練習について語られています。
自分の状況を確認し、自分にはすでに何があって何が必要かを考えさせられます。
真の学びとは、「日々の暮らし」の中にある
有馬さんは、
人は何かを学ぼうとすると、どうしても大層な準備、環境が必要だと思ってしまうもの
だと言います。
けれど、
本当の学びというのは、もっと身近で、些細なものの積み重ねにあるもの
だということです。
何かをやろうとするとき、物や環境が整っていなければできないと思いがちではないでしょうか。
「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」
という、禅の世界で有名な言葉があります。
これは
「仏道と言っても、とりたてて道というものがあるのではなく、日常の行為、ありのままの姿そのものが道なのだ」
と説いているそうです。
何かを勉強するなら、ここではダメだ、良い大学にいかなければいけないと考えたり、仕事の退屈さは転職しなければ解決しないと思ったり、特別に何かをしなければ得られないと思うかもしれません。
ですが、
何かを成すための道があるとすれば、それは今日という日をしっかりと生き、また明日という日をきちんと迎えることにほかなりません。
どこかに特別な道があるのではなく、あなたの足下にあるその道(日常)こそが、一番大事な道であり、その中に学ぶべきことが潜んでいるのではないでしょうか
ということなんです。
特別な何かがなければ、何かを成せないと思うのは、そう考えるのが自分にとって楽だからではないかと思いました。
足下を見て、自分の今いる場所から一歩一歩目標に向かって進むのが、本当の道であり、最も険しい道かもしれません。
けれど本当に成し遂げたいのなら、最初から足下にある道を進んでいかなければいけないんだと思いました。
三章は「「今日」をていねいに生きる」として、どんな日も最高の一日にする練習が紹介されています。
自分の日々を充実させるためにどんな心で、考えで、いればいいかを知ることができます。
掴むためには何かを失い、失っているときには何かを掴んでいる
新しい仕事をしたい、新しい友達がほしい、新しいことを勉強したい…新しい「何か」が欲しくなることは、人生において幾度もあると思います。
有馬さんは
人生とはじつにおもしろいもので、何かを得ようとするときには、必ず何かを捨てなければならないし、何かを失っているときというのは、間違いなく何かを得ているもの
だと言います。
「別是一家風」(べつにこれいっかふう)」
という言葉があります。
これは
「それもまた生き方の一つ」というような意味で、「違う生き方もあるんだよ」
という教えだといいます。
自分にはこの道しかないと、凝り固まった考えで生きるのではなく、別の生き方もあるかもしれないと柔軟な心を持って欲しいと、有馬さんは話します。
しかし、別な何か、新しい何かに挑戦することは簡単なことではありません。
そんなとき、必要なのは「踏み出す勇気」だと考えると思いますが、
じつはそれは半分で、私たちが本当に必要なのは、むしろ「捨てる勇気」のような気がします
と、有馬さんは言います。
例えば、転職するのであれば、新しい仕事や人間関係を得ることができますが、これまでのキャリアや人間関係など捨てなければならないものもあります。
「捨てる」ということが、案外むずかしいもの
私たちにとって「捨てる」と「拾う」は究極的に同じ行為なのです。
「得る」と「失う」もまたしかりです。
だからこそ、「捨てること」を恐れないで欲しい
ということです。
新しい道を選ぶことがためらわれるのは、緊張などもありますが、失うものがあると思うからではないでしょうか。
それらをひっくるめて「一歩を踏み出す勇気」が必要だと思っていましたが、確かに必要なのは「捨てる勇気」かもしれないと思いました。
失うことばかりを恐れず、得られる何かを思って、生き方の選択肢を広げたいと考えました。
四章では「「捨てた」分だけラクになれる」として、悩みから自由になる練習について、五章では「何が起きても、大丈夫!」として、気持ちを切り替える練習について、語られています。
自分と向き合い、自分を成長させることについて考えさせられる内容です。
「当たり前」のことを実践するのが一番むずかしい
大事なことと聞くと、何か大変なことで、複雑で、難しいものだと考えがちですが、
「当たり前」のことを実践するのが一番むすかしい
んです。
本書では、唐時代の有名な詩人 白楽天が道林禅師のもとを訪れた話が紹介されています。白楽天は、道林禅師に仏教の根本の教えは何かと尋ねますが、禅師は
「諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう)」
と答えました。
「悪いことはせず、善いことだけをしなさい」
ということだそうです。
それを聞いた白楽天は「そんなことは三歳の子どもでも知っています」と言う。
そこで道林禅師は「三歳の子どもでも知っているが、八〇歳の老人でも行うことは難しい」と返します
という話です。
犯罪になるような悪いことだけではなく、人を妬んだり、執着したり、迷惑をかけるようなことも含め、「悪いこと」をしないというのはそんなに簡単なものではありません。
一生をかけて目指すに足る、重く、深い命題ではないでしょうか
と、有馬さんは言います。
仕事や人間関係のみならず、人生において何が大事か、うまくやっていくにはどうしたらいいかと問うとき、何か複雑で特別な答えがそこにはあると思いがちですが、
当たり前の中にこそ、本当に大事ものがあるのだと思います
と、有馬さんは話しています。
大人になるにつれて、何でもできる気になって、自分の人生を充実させるために、仕事でも何でも、コツやうまくやれる答えを知りたいと思ってしまいます。
ですが本当は、何でもできるどころか、「悪いことはせず、善いことだけをしなさい」、この一つですら難しいように感じました。
六章では、「幸せは「自分の足下」にある」として、当たり前に気づく練習について書かれています。
今一度、自分自身を見直す良い機会になります。
まとめ
本書では、全六章を通して、禅の教えから、自分の人生を本当の意味で豊かにする方法について知ることができます。
実践するにはなかなか難しい考え方だと思いますが、だからこそそれが本当に"豊かになる"ということなんだと考えられます。
自分自身を振り返りたい人、心をリセットしたい人、気持ちを引き締めたい人にオススメの一冊です。