書評

「『人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方』を読んだ感想!自分の人生・生き方と向き合いたい人にオススメの本!」

「『人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方』を読んだ感想!自分の人生・生き方と向き合いたい人にオススメの本!」

『人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方』は、幸せの翻訳家、天才コピーライターの肩書を持つ、ひすいこたろうさんの本です。
「視点が変われば人生が変わる」をモットーに、ものの見方を追求している著者が、

どう生きたらいいのか、「生きる理由」(The Meaning)を見出すための5つの物語

をこの本に用意しました。
今の時代を、自分はどのように生きたらいいのか、自分の「人生」「生き方」と向き合いたい人にオススメです。

「何を目指すのか」よりも、もっと大事なのは、「なぜ目指すのか」

「なんのために生きるのか」、それを生涯問い続けたのが、吉田松陰という人でした。

吉田松陰は、11歳で長州藩の殿様の前で講義するほどに優秀な人でした。
しかしただ学問を究めるのではなく、常に「自分は何のために学ぶのか」を考えて、行動する人だったそうです。
だから自分の学んだ兵学が机上の空論であるとわかると、これまでの知識を捨て、アメリカに学ぶために黒船に乗り込もうとしたりしました。
そんな行動ができるのは、「なぜ学ぶのか」を常に問い続けたからです。
そして松陰が引き継いだ私塾「松下村塾」でも、門下生にこの「なんのために学ぶのか」を突きつけて、

「立志」(生きる理由) ココロザシを立てさせた

といいます。なんのためにそれをするのか。
なんのために生きるのか。それは「生きる理由」であり、

それはそのまま、人生を「あきらめない理由」となります。

そして吉田松陰は、自分の望むことが叶う・叶わないにかかわらず、生涯自分の「生きる理由」に沿って生きた人でした。

「なせそうするのか」、その答えに自分の本質があると思うのに、「何になりたいか」「何がほしいか」「何」ばかり考えていることに気がつきます。
ある程度のことができ、ある程度の物が手に入ってしまう今の時代にこそ、「なぜ」を自分に突きつけて、「生きる理由」「人生をあきらめない理由」と向き合うことが大切ではないかと思いました。

吉田松陰の「志」は、松下塾の門下生だった高杉晋作に引き継がれます。
たとえ自分の代でそれが叶わなくても、生きる理由を問い続けて生きることに意味があると感じられます。
30年という、現代からすればとても短い吉田松陰の一生が、今の自分に「なんのために生きるのか」を問いかけてくる内容です。

どんなことが起きたって、心は私次第

1806年福岡の武家の家に生まれた浦野もと、のちの野村望東尼は、不幸の連続を生きた人でした。しかしそんな人生を生きるうちに、もとは

どんなことが起きたって、心は私次第

だということに気づくのです。

浦野もとは17歳で結婚しますが、旦那が使用人と浮気し半年で離婚。
24歳の時に野村貞貫と出会い再婚します。
野村貞貫は素晴らしい夫でしたが、彼との間に生まれた4人の赤ちゃんはみな死んでしまいます。
もと自身も結核という病に侵され、なぜ自分は母親になれないのか、自分は死神に呪われていると考えました。
もとを思って、夫の貞貫は彼女が歌づくりに専念できるよう平尾山荘という別荘を用意してくれました。
しかしその後、夫は病で亡くなってしまいます。
子どもに恵まれず、病に侵され、夫に先立たれた彼女は絶望します。
夫の死をきっかけに、もとは曽洞宗開祖の道元の教えと座禅を知ります。
座禅を組み、自分の内なる世界と深く向き合うことで、

変わっていくことを恐れていたら、不幸はどこまでもつきまとう。
だから、避けることのできない悲しみを、避けようと思わないこと。
ありのままを、ありのままに受け止めることから始める。

このように考え、自分の心は自分で決められることに気がつきます。
そして、もとは剃髪し仏門に入り、尼になって名を「望東尼」とします。

二度とない人生。本当に心が望むことを遠慮なくやろう

と決めるのです。

本当に耐えられないような悲しみや苦しさにあったとき、向き合うことは難しいことだと思います。
ですが、どんな心も決めているのは「私」なんです。
起こったことはありのままに受け止めて、これまでの心も、これからの心も、自分次第。
そう考えると、自分の心を自分で決めて前に進める気がしました。

自分が望むことを遠慮なくやろうと決めた望東尼はその後、平尾山荘を隠れ家として、新世界をつくろうとしている志士たちをかくまう活動をするようになりました。
絶望から立ち上がる彼女の話から、生きる力をもらえます。

過去は未来が決める

新しいニッポンをつくるために、坂本龍馬は「大政奉還」という

どこからも血が流れない無血革命にチャレンジ

しました。しかし、そこには坂本龍馬のとんでもない決断がありました。

坂本龍馬は、諸外国に侵略されない、殺したり、殺されたりされない、藩も身分制度も超えたみんなが幸せになれる、そんな形での新しいニッポンを望んでいました。
それには、徳川幕府が政権を自主的に朝廷へ返すという「大政奉還」を成し遂げる必要がありました。
このために、龍馬は自分の友をたくさん殺害した土佐藩、土佐藩前藩主の山内容堂をゆるし、土佐藩にこの「大政奉還」という名案を授け、幕府に意見を進言するように動くのです。

本当の敵は人ではない

憎むべきは社会の制度であると理解し、血を流さずに新しいニッポンをつくるため、積年の恨みを乗り越えたのです。
過去の出来事(トラウマ)にとらわれる人も多いですが、

最高の未来を生み出したときに、その過去を受け入れることができる

んです。

過去は変えることができる

坂本龍馬はそれをやってみせた人でした。

自分の大切な人たちを殺した人間と向き合い、そしてゆるすということは、どれほどの思いでしょうか。
過去の出来事を恨んだり、ひきずったりすることは誰にでもあると思います。
起こったことは変えられないと考えるのが普通だと思います。
ですが自分がこれからつくる未来によって過去の意味も変わってくるという考え方が、人には必要だと思いました。

龍馬の生きる理由、その源泉は遊び心だった

そうですが、そんな坂本龍馬からは、驚くほど深くて広い考え・思いを学ぶことができます。

日本には「サムライ」がいた

幕末は、「天変地異」と「経済破綻」と「伝染病」と「黒船」が一挙にやってきた

非常事態だったそうです。
そんな混乱をなぜ日本は乗り越えることができたのか、それは

日本には「サムライ」がいたからです。

「サムライ」の語源は「さぶらふ」という動詞であり、この「さぶらふ」には「大切なものを守る」という意味があるそうです。
数度の地震や異常気象、それに伴う経済破綻、コレラという伝染病にペリー来航と、混乱の時代にあった日本がそれを乗り越えてこられたのは、

日本には、自分よりも大切にしたいものを守るサムライがいたからです。

外国の宗教と違って「日本の神道には教えがない」と、ひすいさんは神社の神主さんから聞いたそうです。
教えがないということは、「善悪がない」

日本人は、「正しい」、「正しくない」の善悪で考えない

んです。
では「善悪」ではなく何があるのか。
それは

美しいかどうかの判断基準

なんだそうです。
日本人は、それをすることが美しいかどうかで判断してきたといいます。

この本で取り上げさせてもらった5人のサムライたちは、ニッポンの未来を愛しきってくれた、美しい僕らの先輩たち

だということです。

「大和魂」とは、本来、「清々しく生きること」を意味する言葉

だそうです。
美しいことは、カッコイイことであり、自分にとって何が美しいこと、カッコイイことかを考えれば、自ずと自分はどうやって生きればいいかも見えてくるような気がしました。

文明が発展したとはいえ、今の日本の状況も、まさに幕末のような状況ではないでしょうか。
この状況下に生きる私たちに、「大切なものを守る」生き方を示してくれていると感じました。

まとめ

吉田松陰、高杉晋作、野村望東尼、ジョン万次郎、坂本龍馬…5人のサムライたちの生き方から

「カッコイイって、こういうとだ!」

ということを知り、本当の「生きる理由」が湧いてくるかもしれません。
自分の人生や生き方についてじっくり考えたい人を、自分にとって一番大切なもの・生きる理由に向き合わせてくれる1冊です。