雑学

考えれば考えるほど答えがない!?哲学と思考実験

 

考えれば考えるほど答えがない!?哲学と思考実験

哲学とは世界の根源や本質を見極めるための知的な探求のことを言います。
そして思考実験とは、実際に実験を行わず頭の中で考えていくことを言います。
考え出すと止まらなくなったり、自分の価値観が変わることもあるんです。
そこで今回は、いろいろと考えさせられる思考実験を見ていきたいと思います。
ぜひ一緒に考えてみてください。

【便器の中のクモ】


アメリカの哲学者、トマス・ネーゲルさんが主張した実験です。
ある日、ネーゲルは学校のトイレで便器の中にクモがいるのを発見しました。
便器の中に住んでいるクモを可哀そうに思ったので、ネーゲルはクモを助け出そうと便器の外に出してあげました。
しかし数日後、便器の外でクモが死んでいるのを発見します。
死んだクモは掃除されるまでずっと床に放置されていたのでした。

この問題の要点は、クモの幸せを誰が決めるのかということです。
もし仮にクモを助け出すことに成功し、クモが生き伸びたとしたらどうでしょう。
外の世界は、クモにとって本当に幸せな場所なのでしょうか。
もしクモが好きで便器の中にいたとしたら有難迷惑な話になってしまいますよね。
つまり、この問題ではネーゲルがクモの幸せを勝手に決めたということになってしまいます。
もしクモが外に出たいと思っていても、私たちは人間なのでクモの気持ちを知ることはできませんよね。

これは人間にも当てはめることができます。
自分がいいと思うことや幸せだと感じることが、相手にとって幸せかどうかはわからないということです。
そう考えると、もしかしたら自分の価値観を相手に押し付けていることがあるのかもしれません。
人の幸せや価値観は人によって異なるということですね。

【テセウスの船】


テセウスが乗っていた船は、何百年も使われている歴史ある船です。
そのため船は何度も修繕されていて、そのたびに新しいパーツが使用されています。
そんなテセウスの船ですが、もしすべての部品が置き換えられたとしたら、それを同じ船と呼ぶことができるのかということです。
また、交換のときに船の古い部分を取っておき、その部分で一隻の船をつくったとしたらどうなのか。
どちらの船をテセウスの船と呼ぶべきなのでしょうか。

これは、アイデンティーがどこにあるのかという問題です。
これを人間に例えた場合、人間も常に新しい細胞に置き換わっていますよね。
でも、だからと言って私が私でなくなるわけではありません。
もし大きな病気になって臓器を移植したとします。
でも、だからと言って別人になるわけではありません。
そうすると、肉体がどこまで置き変えられたら別人となるのでしょうか。
もし、脳が人間のアイデンティーだとすると脳の中に保存されているすべての情報を人工知能に移し替えたらどうなるのでしょうか。
そもそも、人工物に置き換えられた人間はもはや人間とは呼ばないのでしょうか。
このテセウスの船は、人間のアイデンティーがどこにあるのかと問いかけています。

【カブトムシの箱】


数人が集まったグループがあります。
そして各自カブトムシが入った箱を渡されるのですが、誰もカブトムシがどんな色や形をしているのか知りません。
また、それぞれの箱には違う種類のカブトムシが入っていて、他のメンバーには自分の箱に入っているカブトムシについてのみ話せます。
そして、それぞれが自分の箱の中に入っているものがカブトムシだと思っているのです。
もしかしたらまったく違うものが入っているかもしれないし、中身は空っぽかもしれません。

この実験は、他人が知ることのできないものについて焦点を当てています。
つまり、人の心や痛みもこれに含まれますよね。
どれだけ箱の中身について話し合ったとしても、相手に合わせることもできるし知られたくなければ嘘をついたり隠すことだってできます。
どんなに想像しても、想像したところで箱の中身を完全に知ることはできないのです。
「人の痛みはその当人にしかわからない」と言いますが、まさにそうですよね。
人の心や痛みというのは結局その人にしかわからない、知り得ないものなのです。
それを踏まえたうえで人と接することが大切な気がします。

まとめ


哲学や思考実験には基本的に答えがありません。その人が何を考え、何を定義とし、どう思うのかはさまざまです。
人によっては自分の価値観を押し付けたり、自分と違う人を受け入れようとせず、その人の人格までも否定する人が多くいます。
ですが、そんな人を責めることもまた私の価値観の押し付けになるのかもしれません。
哲学や思考実験のおもしろさは、人の数だけ答えがあるということではないでしょうか。

もし実験に対しての答えが3通りしかなくても、その答えに行きつくまでに何を思い、どんな気持ちになって、どんなことを考えたのかはその人にしかわかりません。
大きく分けると3通りの答えがあったというだけで、そこからさらに枝分けして考えるといくらでも広がっていくのが哲学なのではないでしょうか。
たまには答えのないことで悩んでみるのもおもしろいですよ。