書評

【書評】「罪と罰」を読む、人は何を信じて生きるのか?

【書評】「罪と罰」を読む、人は何を信じて生きるのか?

皆さんは世界の文豪として、誰を思い浮かべますか?
数多くの作家の名前が浮かぶと思いますが、間違いなく「ドストエフスキー」の名も出てくるでしょう。

「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」など多くの名作をドストエフスキーですが、今回はその中でも「罪と罰」を取り上げていきます。

18世紀ロシアで生まれたこの名作は、数多くの人たちを魅了してきました。

ここでこの物語について、おすすめのポイントやあらすじを紹介していきたいと思います。

ドストエフスキー「罪と罰」はこんな人におすすめ

ドストエフスキーの「罪と罰」ですが、以下のような理由から読むのをためらっている方もたくさんいるのではないでしょうか?

●長文を読むのは辛い
●海外の小説て登場人物が多そう
●話が難しくて挫折してしまいそう
●タイトルからしてすごい重い話ではないか
●昔の小説は内容が難しそう

などなど。
他にも理由があると思いますが、多くの人はこのように考えるかと思います。

しかし、実際本を読む理由は、その時置かれた自身の状況や心理状態などによって大きく変わります。
私がこの本を手にとった理由は、「人を救うのは何か」を求めていたからです。

自分一人で生きているような心地で、傲慢になっていた自分を振り返った時、救ったものは何だったのかを自身で振り返るため、この本を読みました。

結果として、自身の生き方を振り返ることが出来たと同時に、人生における大切な指針のようなものを確認できたと感じています。

私の経緯を踏まえて罪と罰をおすすめするのはこんな人です。

●ハッピーエンドな話が好きな人
●推理小説が好き
●ドストエフスキーを初めて読む人
●人間を突き動かすのは何かを知りたい人
●罪を犯したような後悔を持つ人
●自分は特別な人間だ、という傲慢な人

以上の点がある人は是非読んでいただきたいと思います。

罪と罰、あらすじ

舞台は帝政ロシアの首都ペテルブルグ。
頭脳明晰な大学生のラルコーリニコフは、貧困のため大学の学費が払えず、除籍処分となってしまいます。

常に貧困に喘いでいたラスコーリニコフですが、頭脳明晰な彼には強烈な選民思想がありました。
「ある高邁な目的のためには手段は問われず、行為は歴史により正当化される」という考えであり、人間はルールに従うだけの人間と、それを書き換える天才の2種類がいるという考えです。

彼は金貸しの老婆を殺害し、金品を奪うことを計画します。
そうすることで自身の特别性を確認し、自身の理論を体現しようとしました。
実際に金貸しの老婆を殺害したまでは良かったのですが、そこに居合わせた老婆の妹を殺害したことで、彼は強烈な罪の意識に苛まれることになります。

友人のラズミーヒンなどが看病に当たるものの、彼はまるで狂人の如く精神を衰弱させてしまうのです。

もうひとり、この話の主人公となるのは、家族の為に自分を犠牲にして売春婦となったソーニャです。
物語の序盤、ラスコーリニコフが居酒屋で会ったマルメラードフの娘です。

彼女は、ラスコーリニコフが自身の罪を打ち明ける最初の人です。
敬虔なキリスト教徒である彼女は、その教義同様、深い「愛」でラスコーリニコフに接します。

決定的な物的証拠がないものの、心理的証拠でラスコーリニコフを追い詰めていく予審判事のポルフィーリィや、ラスコーリニコフの妹への狂信的な愛情を持つ、貴族のスヴィドリガイロフとのやり取りを通じ、彼の心理面が徐々に明らかになっていきます。

彼は結局、どんな「罪」を背負ったのでしょうか?
そして、どのように償うのでしょうか?

罪と罰、名言の紹介

ラスコーリニコフの思想

修道院に寄付されるはずの老婆の金があれば、何百、何千というりっぱなしごとや計画が実施され、改善されるのだ!(中略)
一つの生命を消すことによってー数千の生命が腐敗と堕落から救われる。
一つの死と百の生命の交代ーこんなことは算術の計算をするまでもなく明らかじゃないか!

一つの悪行を百の善行で償う、というラスコーリニコフの思想を如実に語った場面です。
彼はそう語ることによって、自分が歴史上特别な人間であることを強く意識しようと努めました。
そうすることで彼はより苦しむことになるのですが・・・。

苦悩するラスコーリニコフの告白

ナポレオンならやっただろうか?
なんてあんなに何日も頭を痛めたということは、つまり、ぼくがナポレオンじゃないということを、はっきりと感じていたからなんだよ・・・

上記場面はソーニャに自身の罪を打ち明ける場面です。
彼は殺したことに対して罪を感じたのではありません。
彼が苦悩したのは想定外の殺人による良心の呵責、そしてそこで揺れ動いた心理状態から、自身の特别性が否定されたことにあるのです。
「自分は平凡な人間だった」
自分を特别だと信じていた人間にとって、これほど辛く現実を認識することはないかもしれません。

告白を受けてのソーニャの返答

「お立ちなさい!いますぐ外へ行って、十字路に立ち、ひざまずいて、あなたがけがした大地に接吻しなさい、それから世界中の人々に対して、四方に向かっておじぎをして、大声で”私が殺しました!”というのです。そしたら神様があなたに生命を授けてくださるでしょう。行きますか?行きますか?」

ラスコーリニコフから殺人の告白を受けたソーニャの、初めてキリスト教徒としての強さを見せた場面です。

聖書の中には、「すべての罪は明るみにされる」と福音書に記されています。
敬虔な彼女にとって、キリストから「生かされている」身である以上、傲慢な行いやその罪は悔い改めて当然なのではないでしょうか?

ポルフィーリィの一言

「ええ、命を粗末にしちゃいけません!」
〜中略〜
(先に何があるんです?)との問いに
「生活ですよ!」

ラスコーリニコフを追い詰めるポルフィーリィとの会話の一幕です。
自殺をして償うという考えも浮かんでいたラスコーリニコフの心情を見抜き、生きて自首することを進めるポルフィーリィ。

その後のやり取りで「あなたはどれだけ生活してきました?どれだけ物事を理解していますか?」と畳み掛けるのです。

ポルフィーリィは知っていました。
世間知らずの少年が創出した高等な理論が崩れた時、どんな顛末が予想できるかを。
それを聞いたラスコーリニコフは、結局どのようなけりをつけるのでしょうか?

まとめ

以上、簡単にではありますが、罪と罰の概要についてでした。
簡単にもう一度振り返りますが、

●ハッピーエンドな話が好きな人
● 推理小説が好き
● ドストエフスキーを初めて読む人
● 人間を突き動かすのは何かを知りたい人
● 罪を犯したような後悔を持つ人
● 自分は特別な人間だ、という傲慢な人

以上のような人にはおすすめです。
人は生きることによって何かを成し遂げられます。
しかし生きることが辛いという状況に陥る人もたくさんいるでしょう。
そのような状態の時、人は何を支えにして生きていくのでしょうか?

自分で自分を信じられない時、果たして何が人間を救うのでしょうか?
罪と罰はその問いに応えてくれる小説です。

是非一度、その手にとって、自身に問うてみてください。