書評

【書評】芥川龍之介の「羅生門」を読む〜一瞬で善悪を超える人間のエゴ〜

【書評】芥川龍之介の「羅生門」を読む〜一瞬で善悪を超える人間のエゴ〜

「みんながやっているから仕方がない」
これは割とよく使う言い訳なのではないでしょうか?

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言う言葉もあるように、自分の判断というより、世間が追従するか否かが基準となっている部分はどこかにあるのではないでしょうか?
そうして自分を正当化することで、人は自分の中の悪事をどこかで許しているのかもしれません。

つまり、簡単に言えば自分の判断はそれだけ脆く儚いものであるということ。
さっきまでは善人だったのに、気づいた時には悪人に成り下がってしまっている・・・

この主人公の下人のように。
今回はそんな下人を主人公にする名作「羅生門」の紹介です。

芥川の名作「羅生門」ここから芥川作品への興味を持った人もいるかもしれません。
私も教科書でこの話に出会い、衝撃を受けて文学への興味を持ちました。
その意味では記念碑的な作品でもあります。

さてそんな羅生門はこのような人におすすめです。

●文学の世界を学びたい人
●黒澤作品が好きな人
●授業で芥川龍之介に興味を持った人
●人間の「心理」を描いた小説に興味がある人

以上の特徴を持つ人にはとてもおすすめです。
文学の世界に足を踏み入れる際にとてもおすすめです。
短い作品ながら心理描写が巧みであり、教訓的な話も多い芥川作品は文学の入り口へ向いているでしょう。

また、日本映画の巨匠・黒澤明監督の映画「羅生門」はこの小説と、同じ芥川作品の「藪の中」をモデルとして作られています。

映画から原作へ興味を持つ人も多いのではないでしょうか?

著者紹介 芥川龍之介

芥川龍之介は大正時代に活躍した日本の小説家です。
多くの優れた短編小説を生み出した「短編の名手」とも言われています。

作品の特徴として、「エゴイズム」「醜さ」といった人の「内面」を短編の中であざやかに描いているものが多いです。
いつの時代にも共通する深いテーマでありながら、それを簡潔に、わかりやすく纏めています。

芥川作品をざっくり分けると、
鼻・芋粥のような歴史物を中心とした「初期」
芸術至上主義を打ち出して、長編にもチャレンジした「中期」
そして精神を病み、告白的自伝を描いて人生を振り返る「後期」とあります。

「羅生門」はまだ無名作家時代の1915年に初出となった作品です。
タイトル由来は朱雀大路にある平安京の正門「羅城門」で、現在はひっそりとした公園になっています。

本作は「今昔物語集」という古典を一部題材にしています。題材を他から取って話を捜索していくというのは、芥川作品に多く見られる特徴です。

あらすじ

舞台は平安時代。
ある日の暮方のこと、一人の下人が羅生門の門の下で雨止みを待っていました。

当時の京都は飢饉や火事・地震などの災いが立て続いて起こり、洛中のさびれ方は一通りではありませんでした。
その為治安も悪化しており、荒れ果てたのを良いことに引き取り手のない死体を門へ持って来て捨てていくという習慣も出来ていました。

さて、そのような環境の余波を受けてか、この下人も数日前に長年仕えていた主人から暇を出されてしまいました。
「生きていくためには盗人になるしかない。」
そう思っていながらも、その勇気が出ずにいたのです。

下人は寝床を探すため門の楼の上へ出ました。
すると、そこにはどうやら人の気配が・・・。
恐怖心を抱えながらもよく見てみると、そこで下人はいくつかの死骸の中に蹲っている老婆を発見します。
その老婆が死体の髪の毛を一本一本抜いているのを見て、下人は激しい憎悪の念にかられました。

その怒りから刀を抜いて老婆を問い詰めると、老婆は髪の毛を抜いて鬘にするつもりだという。
そしておおよそこのようなことを言いました。

「確かに死体の髪の毛を抜くのは悪いことだ。だがここにいる死体は、皆生きている時に悪事を働き、これくらいのことをされてもいい人間だ。
彼らは生きるために悪事を働いた。されば今の自分のやっていることも悪くは思わないはずだ。」と。

老婆の話を聞いた下人は「きっと、そうか。」と嘲るように念を押し、老婆の襟上を掴みながらこう言いました。
「では俺が引剥ぎをしても恨まないな。俺もこうしなくては飢え死にする体なのだ。」

そうして下人は老婆の着物を剥ぎ取り、引き下がる老婆を蹴倒して、門の下へ駆け降りて行きました。

そして小説はこの一文で終わります。

下人の行方は、誰も知らない。

まとめ

人間は一瞬で善と悪の立場が逆転する・・羅生門は人間心理の脆さを短くも鮮やかに描いています。
洗練られた文章と話のわかりやすさ、主題の明確さ故に今もなお輝きを放つ名作「羅生門」。

老婆には老婆のエゴイズムがあり、下人には下人のエゴイズムがありました。
共通しているのは互いに「生きるため」に悪事を働いているということです。
その「生きるため」という理由で自身の悪事を正当化しています。
現代の犯罪にも共通の心理と言えるかもしれませんね。

闇の中に消えていった下人はどうなるのでしょうか?
無事に生きることは出来たのでしょうか。それとも・・・。
下人の行方は知らないからこそ、その先を考察してみたくなります。

読者の皆さんも、どこかで自分の悪を正当化してはいませんか?