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【鬼滅の刃・入隊編】宇髄天元 鬼殺隊入隊の経緯についての紹介・考察(ネタバレ含む)

【鬼滅の刃・入隊編】宇髄天元 鬼殺隊入隊の経緯についての紹介・考察(ネタバレ含む)


【鬼殺隊入隊までの経緯】

宇髄の入隊までの経緯は、他の柱たちとは少し違います。
主に鬼を憎む者たちで構成されている鬼殺隊。
しかし宇髄は、鬼に恨みを覚えるような過去を持ちません。
一体どうして宇髄は、鬼殺隊に入ろうと思ったのでしょうか。

宇髄はもともと、忍びの一族の出身でした。
一族が滅びそうになる恐れから、宇髄の父親は子供たちに過酷な訓練を強いました。
もともと9人いた宇髄の兄弟たちは、宇髄が15歳を迎える前に、一人の弟を残してみな命を落としています。

宇髄の弟は、父親に生き写しで、冷酷な人間でした。
人の命を何とも思わず、妻として当てがわれた女性さえ、捨て駒のように扱う。
任務を遂行することが何より大切で、命は二の次とされる環境に嫌気がさした宇髄は、3人の妻たちと共に家を抜け出すことを決意します。

忍びを抜けた後、宇髄が一番恐れたのは、抜け忍として妻と共に暗殺されてしまう事でしょう。
宇髄にとって3人の妻たちは、自分の命よりも大切な存在です。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」10巻

忍びの世界では、一般的に抜け忍は厳しく裁かれますし、一族が廃れてしまう事を何より恐れていた父親が、宇髄の自由を許すとは思えません。

しかし宇髄はお咎めなしで、派手に鬼殺隊として活躍しています。
一体なぜなのでしょうか。

忍びとは権力者に仕え、その繁栄のために、偵察や暗殺など裏の仕事を請け負うものです。
宇髄らの一族も、どこかの権力者に仕えていたと思われます。

これは憶測になりますが、宇髄は自分たちが仕えていた者を圧倒的に凌駕する権力者、産屋敷家の傘下に入ることで、妻たちの安全を守ろうとしたのではないでしょうか。

1000年以上にわたり大量の隊士達を雇い、衣食の面倒を見ることができるほどの財力。
冤罪で捕らえられた悲鳴嶼を一存で無罪放免にするなど、公的関係者にまで関与できるほどの権力。
そして、数百人の訓練された隊士を抱える武力。
そんな産屋敷家と敵対することは、誰だって避けたいはずです。

産屋敷輝哉と初めて対面した時、宇髄の妻たちは恐怖心から、震え、冷や汗をかいていました。
人殺しを生業としてきた自分たちが受け入れてもらえるか、不安があったのでしょう。
ともすれば、その場で捕らえられ、人殺しとして警察に引き渡されたり、宇髄の家族に売られたりする可能性も大いにありました。
宇髄たちにとって、命を懸けた一か八かの大勝負でした。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」10巻

しかし産屋敷輝哉は優しい声で、宇髄たちを受け入れました。
宇髄は、産屋敷の人柄に触れるにつれ、徐々に心酔していきます。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」10巻

宇髄が鬼殺隊に入隊したのは、何歳の時だったのでしょうか。
詳しい年数は作中で明記されていませんが、いくつかのキーワードから時期を推測することができます。

宇髄の一族には、15歳で3人の妻を当てがわれるしきたりがあります。
宇髄の弟にも妻がいた描写がありました。
宇髄と弟の年齢差は2歳と明記されていますので、弟が15歳、宇髄が17歳を迎えるまでは、忍びとして活動していたことが確定します。

15歳になった弟が妻を迎え、捨て駒のように扱うのを見て宇髄は「俺はあんな人間になりたくない」と嫌悪しており、恐らくそれが、忍びを抜けるに至る一番の要因となっています。
宇髄の性格上、嫌気が差したら即座に行動しそうなので、宇髄は17歳の時に忍びを脱し、産屋敷家の門を叩いたと考えるのが妥当です。

【宇髄が柱になった経緯】

宇髄が何歳で柱になったのでしょうか。

19巻に登場する回想シーンで、宇髄は柱として胡蝶カナエと共に、柱合会議に参加していました。
カナエの享年は17歳で、宇髄との年齢差は2歳です。
このことから宇髄は、少なくとも19歳の時には柱になっていたことが分かります。

入隊が17歳ごろと考えると、異例のスピード出世です。

おそらく宇髄らは、修行をせず、そのまま最終選別を突破したのではないでしょうか。
忍びとしてのアドバンテージがありますから、もし修行をしたとしても、ごく短い期間であったはずです。

また派手好きな宇髄は、ちまちまと雑魚鬼を倒すのを嫌いそうですから、妻に偵察役を担ってもらいながら、力のある鬼を見つけ出し、効率よく撃破していったのではないでしょうか。
スピード出世の裏には、妻たちの内助の功がありそうです。

【宇髄を駆り立てた想い】

鬼殺隊員としては珍しく、宇髄は鬼との因縁がありません。

鬼殺隊になろうと決意した第一の動機は、前述のとおり、権力者である産屋敷家に仕えることで、妻たちの命を守ろうとしたことにあると思います。

第二の動機は、今まで忍びとして、たくさんの人を手にかけてきた罪にけじめをつけることです。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」11巻

過去に宇髄と妻たちは、上弦の鬼を倒すことで自分たちの罪にけじめをつけたら、一線を退いて生きていこうと誓い合っていました。

柱たちの多くが、打倒鬼舞辻無惨を人生の目標に掲げ、命に代えてでもやり遂げると心に秘めているのに対し、宇髄の目標は、妻と共に生き延びることにありました。

遊郭編で上弦の鬼を倒した宇髄が即、引退宣言をしていたことからも、それは見て取ることができます。

【宇髄は何番目に柱になったか】

宇髄が柱になった順番は、悲鳴嶼に続いて二番目か、義勇を挟んで三番目です。

悲鳴嶼、宇髄、冨岡の3人は、19巻の不死川が柱入りした回想で、柱として登場していますので、古株であることは確定です。

宇髄の鬼殺隊歴は最長で考えて5年、義勇は8年になります。

年数から考えると、義勇のほうが先に柱になっていそうですが、物心ついた時から命を懸けた訓練に参加させられてきた宇髄ですから、どちらが先に柱になっていてもおかしくないでしょう。

【まとめ】

柱の中で唯一、最終戦に挑まず、引退をとげた宇髄。
引退と言っても戦線から退いただけで、その後も柱稽古に参加してビシバシ隊員たちを鍛えたり、産屋敷輝利哉の護衛にあたったりと、活躍していました。

もし宇髄が引退をせず、最終戦に参加していたとしたら、恐らく命はなかったでしょう。
宇髄もそれがわかっていたからこそ、引退を決意したのだと思います。

守る者がある宇髄は、簡単に命を手放すことは出来なかったのでしょう。