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【鬼滅の刃・入隊編】悲鳴嶼行冥 鬼殺隊入隊の経緯についての紹介・考察(ネタバレ含む)

【鬼滅の刃・入隊編】悲鳴嶼行冥 鬼殺隊入隊の経緯についての紹介・考察(ネタバレ含む)


【鬼殺隊入隊までの経緯】

悲鳴嶼行冥が鬼殺隊に入隊したのは、18歳の時です。
それまで悲鳴嶼は、寺で8人の孤児たちを養いながら生活していました。

盲目である悲鳴嶼が子供たちを養うのは、並大抵のことではなかったでしょう。
小説版鬼滅の刃「片羽の蝶」には、食べ盛りの子供たちにお腹一杯食べさせるため、自分の食い扶持を削り、身を粉にして働く悲鳴嶼の様子が記されています。

子供たちはみな、両親を亡くしたり、捨てられたりして心に傷を抱えていました。
しかし、子供たちは皆仲睦ましく、助け合いながら家族の様に暮らしていたと悲鳴嶼は語ります。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」16巻

悲鳴嶼の過去を語る上で、欠かせない人物がいます。
のちに十二鬼月として登場する、元我妻善逸の兄弟子、獪岳です。

獪岳はもともと、悲鳴嶼が保護していた孤児の一人でした。
慈悲深い僧侶であった悲鳴嶼が、鬼殺隊として鬼を斬る生活を送るようになったのは、獪岳のせいと言っても過言ではないでしょう。

獪岳は常に、満たされない思いを抱えていた子供でした。
愛情の飢餓感が強く、いつでも自分が誰かの一番でないと気が済まない獪岳。
心根は優しく慈悲深いものの、言葉足らずで不器用な悲鳴嶼は、わかりやすい愛情を求める獪岳にとって、相性の悪い相手だったのかもしれません。

ある夜獪岳は、寺の金を盗みだします。
もしかするとその行為は、金を得るためでなく、悲鳴嶼の気を引くためのささやかな反抗として行われたのかもしれません。

しかし、悲鳴嶼と共に暮らしていた子供たちにとって、獪岳の行為は許しがたいものでした。
盗みにいち早く気付いた子供たちは、悲鳴嶼には内緒で獪岳を断罪し、寺から追い出してしまいます。

その夜悲鳴嶼は、獪岳の不在に気がついたものの、子供たちの「獪岳は寝ている」という言葉を鵜呑みにしてしまいました。

一方獪岳は、暗い夜の山を彷徨いながら憎しみを募らせていました。
自分を追い出した仲間たち。
受け入れてもらえなかった自分。
そして、自分の不在に気が付かず、追いかけてきてくれない悲鳴嶼。
帰って素直に謝れば許してもらえたのでしょうが、プライドの高い獪岳がその選択肢を取ることはありませんでした。

山を彷徨う中で、獪岳は運悪く鬼と遭遇してしまいます。
鬼に喰われそうになった獪岳は、寺で眠る子供たちと悲鳴嶼の居場所を教える代わりに、自分を見逃すよう懇願します。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」16巻

獪岳の導きにより、鬼は寺にいた悲鳴嶼らを襲いました。
必死に子供たちを守ろうとした悲鳴嶼でしたが,子供たちは話を聞かず、方々に逃げ出し、次々と鬼に喰われてしまいます。

一人残った沙代という少女を守るため、悲鳴嶼は夜が明けるまで延々鬼を殴り続けました。

今でこそ鬼殺隊最強を誇る悲鳴嶼ですが、当時はただの僧侶であり、特別な訓練なども行っていませんでした。
体つきを見ても、細く頼りなげで、怪力を持つ鬼を一晩中押さえつけることができたとは、とても信じられません。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」16巻

おそらく悲鳴嶼は、軟腕に八倍の筋肉を持つ甘露寺蜜璃や、刀を握って2か月で柱に上り詰めた時透無一郎のように、生まれ持った何らかの才能があったのでしょう。

命がかけで戦い、なんとか沙代を守り切った悲鳴嶼でしたが、その後に待っていたのはあまりにも残酷な結末でした。

唯一生き残った沙代は、悲鳴嶼を指さし、駆けつけた大人たちにこう告げたのです。
「あの人は化け物。みんなあの人が、みんな殺した。」
沙代の証言により、悲鳴嶼は孤児を殺した殺人鬼として囚われ、死刑の宣告を受けました。

話を聞きつけた産屋敷輝哉が救いだしてくれなければ、悲鳴嶼はそのまま、無実の罪で命を落としていたでしょう。
この一件で、自分の強さを知った悲鳴嶼は、憎き鬼を倒すため、また命の恩人である産屋敷輝哉に恩を返すために、鬼殺の道を歩むことになります。

【悲鳴嶼行冥が柱になった経緯】

前述のとおり、悲鳴嶼は18歳の時に入隊しています。
その後、柱になるまでにどのくらいの時間がかかったのかは明らかにされていません。

ただ19巻の回想で悲鳴嶼は、胡蝶カナエと一緒に登場しています。


画像引用元:吾峠呼世晴「鬼滅の刃」19巻

当時胡蝶カナエが何歳だったのかはわかりませんが、享年は17歳です。
悲鳴嶼との年齢差は6年。
そのため悲鳴嶼は、23歳の時には確実に柱であったといえます。

柱になるまでの期間は、通常5年、早くて2年と言われています。
悲鳴嶼はみなが認める鬼殺隊最強の男です。
誰からも尊敬される悲鳴嶼は、おそらく入隊から柱入りまでの期間も短かったのではないでしょうか。
仮に入隊から2年で柱まで上り詰めたとすると、20歳にはすでに柱だったことになります。

【悲鳴嶼を駆り立てた想い】

悲鳴嶼を鬼殺へと駆り立てたのは、鬼舞辻無惨への憎しみと、お館様への忠誠心、それから、これ以上悲しむ人を生み出さんとする慈悲の心です。
もともと孤児たちを養うほど、慈悲深かった悲鳴嶼。
これ犠牲者を出すのは、我慢ならなかったことでしょう。

【悲鳴嶼は何番目に柱になったか】

悲鳴嶼は、9人の柱の中で一番の古株です。
それも、他の柱とは群を抜いて任期が長いと思われます。

もともと、柱のメンバーはみな、序列意識が低いです。
年上だからと言って敬語を使うこともないですし、発言権も平等に与えられています。

しかしそんな中で悲鳴嶼は、ほとんどのメンバーから「さん」付けで呼ばれていました。
年上である宇髄をお前呼ばわりし、あれだけ馬鹿にしていた伊黒でさえ、悲鳴嶼に対しては敬称をつけて呼んでいます。
悲鳴嶼の、鬼殺隊内での格の違いを象徴しているといえるでしょう。

【まとめ】

非凡な力を持つ悲鳴嶼ですが、あの凄惨な事件が無かったら、自分の才能に気づくことなく、ただの心優しい僧侶として一生を終えたのでしょう。

かつて縁壱がそうであったように、悲鳴嶼も、無惨を討伐するための役目を担い、生まれてきたのかもしれません。