書評

哲学は「考える遊び場」だ!『翔太と猫のインサイトの夏休み』

哲学は「考える遊び場」だ!『翔太と猫のインサイトの夏休み』

この本は、中学生の翔太と、インサイトという名前の猫の対話で進む哲学の入門書です。
著者は対象読者を中学生~専門家まで幅広く想定しています。
翔太がいろいろな疑問を持ち、それに対して猫のインサイトが答える形式です。
ハードカバー版刊行の1995年から、ひそかに読み続けられているロングセラーです。

●今いる世界が夢でないことは証明できるか

ぼくは本当に目が覚めてからも、しばらくの間、これもまた夢なのではないかと、信じられないような気分になってしまった。

ある日、翔太は奇妙な夢を見ます。
その夢から覚めても実はまだそれは夢の世界で、その夢から覚めてもまだ夢の世界で…と繰り返す夢です。
翔太はようやく、今、自分がいる世界が現実世界だと安心します。

しかし哲学を語る猫のインサイトは、「本当に今ここが現実だと言えるか?この世界も夢ではない証拠はあるのか?」という質問を翔太に投げかけます。
極端な話、この世界は真の現実世界の「脳培養器」が見せているだけで、全く存在しないのではないか、とまで言います。

「現実と思っていた世界は、実は脳だけが作っている世界だった」という設定は2000年公開の映画『マトリックス』を思い起こさせます。
対話は世界の多重構造から知覚・認識に関わるものまで幅広く行われます。
この章で出てくる主な哲学者はデカルト。哲学用語は「実存主義」「懐疑主義」などです。

…というと難しそうですが、「一度も怒ったことのないクラスメイトがある日に死んでしまったら、そのクラスメイトの性格は怒りっぽくなかったと決めつけていいのか?」「自分の部屋は、自分がいないときもちゃんと存在しているのか?」など、身近な話題を通して考えていきます。

●自分が感じている「赤」と、他人が感じている「赤」は同じか

他人の痛みを痛んでみることはできないんだから。

翌日の翔太の疑問は、自分と他人は、本当に同じことを感じているのか?でした。
例えばAさんが「痛い」と感じている感覚は、翔太にとっての「かゆい」という感覚かもしれません。
またAさんは、消防車が「翔太にとっての青」に見えており、それをAさんは「赤」と言っているのかもしれません。

しかしそうだとしても「Aさんは消防車を赤と言う」のは変わらないので確認のしようがありません。
そこから議論は発展し「翔太の脳がすっぽりなくなっても普通に動いている翔太がいたら、それは翔太か」や、「別の惑星に翔太と全く同一の人間がいたら、それは翔太か」といった問題へ移ります。

この章で登場する主な哲学者はカント、バークリー。
哲学用語は「カテゴリー」「経験的観念論」「超越論的観念論」などです。

●正しいと言える根拠は存在するか。意味とは何か

哲学ってみんなそうなんだよ。つまり、結論はそれだけ取り出せば誰でも知っている当たり前のことを言っているだけなんだよ。

次の日、翔太はまた2つの夢を見ます。
1つめは善悪の判断の夢。もう1つは「言葉の意味が他人と通じなくなる」夢です。

インサイトは、1つ目の夢に対しては次のような問いを投げかけます。
重病人が4人いて、1人目は医療ミスによる人、2人目は名医でこれからたくさんの人の命を救う可能性がある人、3人目は大持ちでたくさんのお金をくれそうな人、4人目は犯罪者の悪人です。

しかし特効薬は1人分しかありません。
誰に投与すべきでしょうか?翔太は1人目か2人目と答えます。
これについてインサイトは、1人目を救おうと思う心理的な根拠は過去の医療ミス、2人目を救おうと思う心理的な根拠は未来への期待、という差であると解説します。
さらに、本当に公平に使うなら1人の命も救えなくても4等分するとか、くじ引きで決める、という方法も提示します。
翔太は特効薬の存在自体を隠す、ということも思いつきます。

なお、人の命を考える似た問題に「トロッコ問題」があります。
マイケル・サンデル『これからの正義のお話をしよう』(早川書房)で取り上げられ有名になりました。
そこから、話題は「正義」に移ります。

例えば、ナチス・ドイツが世界の多数派になっていたら、正義は変わっていたか?
古代ヨーロッパでは奴隷制は正しいことだったのか?といった会話がされます。
そこから「正しい」ことの根拠を考えることになります。

2つめの夢については「意味」について語ります。
実は言葉は、難しい言葉ほど説明するのが簡単で、逆に簡単な言葉ほど説明するのが難しいことをインサイトが指摘します。
例えば「『小さい』の意味を答えなさい」と言われても、なかなか難しいでしょう。
インサイトは、本来はこういった言葉は使えるだけ十分であり、説明できる意味は不要だと説きます。

この章では哲学者としてフロイト、アリストテレス、ウィトゲンシュタイン。
哲学用語として「虚偽意識」「三段論法」「『語る』と『示す』」などが登場します。

●自分がいまここに存在している意味はあるか

僕がやるべき宿題を、誰かが代わりにやってくれることはありうるけれど、誰も僕の生そのものを代わりに生きてくれることはできない。

翌日、翔太は自分が死んでしまう夢を見ます。
そこから「自由意志」「過去・現在・未来」「空間」や「生と死」について考えることになります。
時間では、例えばタイムマシンで過去に行ったとしても、それはあくまで「私の現在進行形の体験として過去に行った」のであり、「過去自体を過去として体験した」のではありません。
よって、本当の意味で過去に戻るタイムマシンはSF小説にすら登場できないとしています。
この章で登場する哲学者はハイデガー、哲学用語は「現存在」や「存在的差異」などです。

そして最終章で、翔太の40日間の夏休みは幕を閉じます。