書評

「20歳の自分に受けさせたい文章講義」を読んでみた感想

良い文章を書くに必要なもの

仕事や生活で日々作っていく書類。
書けば書くほど何が良い文章で何が悪い文章なのか分からなくなるのに、上達している実感は湧いてこない。
そんな時に読んでほしいのがこの本です。

古賀史健が講談社で発売した星海社新書「20歳の自分に受けさせたい文章講義」。
300ページもないのに内容は濃く、そして具体的に文章がなんたるかを教えてくれます。
「読みたくなる文章」「読みたくない文章」の違いはなんなのか、また「読みやすい文章」「読みにくい文章」とは一体どういった作り方をしていけばいいのか。
そんな書くことに迷子になっている人が一度は読んだ方がよい一冊です。

書くのではなく、頭の中を翻訳していくことが大切

われわれはどうして“翻訳”をするのか?
伝えるためだ。伝えたい相手がいるからだ。
他者でも読者でも、言葉は何でもいい。誰かになにかを伝えたい、つながりたいと思うからこそ、“翻訳”をするのだし、しなければならないのだ。

自分だけが理解する言葉で好き勝手まくしたてる。
そんなことをしても、伝えたい相手に伝わることはない。
そんなふうに言われている気がしてしまうのがこの言葉でした。

文章を書くことを、筆者はたびたび翻訳すると解釈しています。
頭の中にあるものをうまく翻訳できないから、私たちは大半が良い文章を書けないというのです。

なるほどと思う反面、自分がまったく見当の違う考えを持っていたことを思い知りました。
筆者はいうには、この言葉が書いてあるところはまだガイダンスだとか。
なかなかに先の怖くなる書き出しです。

美しさは主観、正しさは客観

美しさを意識しすぎると、主観に溺れた独りよがりな文章になりやすい。
そして客観性を忘れて主観に溺れた文章は、論理性を著しく欠いた支離滅裂な内容になってしまう。
一方、正しさを意識することは、客観的な視線を意識することにつながる。

美しさとは主観であり、正しさとは客観である。
最初はそんなこと言われてもというのが正直な気持ちでした。
きれいな言葉やかっこいい言葉なんて、文章を書いたことのある人なら一度は書いてみたいのが人間味というものでしょう。

しかし筆者はそれが、支離滅裂な文章を生み出しやすいとも説きます。
一人よがりもほどほどに、ということでしょうか。
反省してしまいます。

「小さなウソ」の正体

意識的なものであれ、無意識的なものであれ、われわれが“小さなウソ”をついてしまう理由は簡単だ。
ひとことで言って「理解が足りないから」である。
自らが語ろうとする対象について、まだまだ理解が浅いから「小さなウソ」が出てしまうのだ

日常の中でウソをつくことは原則してはいけないのは誰でもわかっています。
でもやむにやまれず使ってしまうこと、それもまたよくあるのは事実の一つです。
みんなが知っている風で自分だけ知らない時などは、知ったような態度をして皆の話に合わせるのもウソといえばウソの一種。

それを筆者は、理解が足りないのが原因だといいます。
たしかにそんな時の言葉は、どこか薄らぼんやりとして、内容のない返答がほとんどだったように思います。
生涯学習という言葉が身にしみた、もっともな意見でした。

頭のなかにあるものしか、文章には使えない

「文章には“自分の頭で分かったこと”以外は書いてはいけない」

この本を読む前の自分なら、「なにを当たり前なことを」と斜にかまえて本に目を通していたでしょう。
しかし自分が当たり前だと思っていたことも、「実はまったくできていなかった」なんてことをもう知ってしまっている身としては、なんとも言えない気になります。
基本といえば基本ですが、なら自分がどこまで分かっているかを言われてしまうと少し困ってしまいます。

なぜならこの言葉を実践するには、自分がいかに自分自身を理解しているのか正確に分かっていなければなりません。
でなければ、どこからどこまで書けるのか、またどれほどの不足を補わなければいけないのかもわからないままです。
このように考えると、自分が他人を客観的に分析することには慣れているのに対して、自分自身を客観的には分析し慣れていないことがよく分かりました。

大人になる前に受けておきたかった講義

いかがだったでしょうか。
なかなか濃い内容に一冊だったでしょう。
一回読んだだけでは分かった気になっているかもしれないと、学生のように何回の読み返してしまう、まさに「講義」と呼ぶにふさわしいものでした。

ほかにも「文章のカメラワーク」や「わかるヤツにわかればいいはウソ」などの楽しい内容が厚さのない新書サイズの中に、これでもかと詰め込まれていて驚かされます。
本の中で筆者は、抽象的な教え方ではよい文章を書くことはできないといっている。
そして教える方も文章の書き方をよく分かっていないものだから、抽象的なふんわりした教え方になるとも示唆していました。

私は年齢を重ねて、社会に出てから何年も月日は経っています。
そんな中、この本を読んで切実に思ってしまうことがあります。
こんなに分かりやすくて、こんなに具体的な講義なら、もっとはやくに受けておきたかった。