書評

ねこが嫌った『100万分の1回のねこ』を読んでみた感想!!

ねこが嫌った100万分の1回

子供の頃に読んだ絵本を人はどれだけ覚えているでしょうか。
大半はあっという間に忘れてしまうけれど、たまに意外なほど覚えている内容もあったりします。
たいていは大人になると納得したりするものですが。

今回紹介する本は、講談社文庫発行の「100万分の1回のねこ」という文庫本です。
大人になった作家達が「100万回生きたねこ」という絵本をもう思い出したり大人になって初めて読んだりして、敬意を込めて書き上げた13人分の短編集です。

「100万回生きたねこ」を知っている人なら、この題名からある程度は内容を予想できるのではないでしょうか。
そう、この短編集はねこと彼が嫌いな人たちの愛情あふれる話になります。

何もかも知っているつもりで、実はそうでもない二人

訳が分からず窓を開けようとすると、私の前を遮るように体をずらした。
けれども私には見えてしまった―夫の足元に横たわっている猫が。
改めて家を出て庭に回った。
夫は迎えに出てきて、あいかわらず私をその体で遮ろうとしながら、「見ない方がいいよ」と言った。
ある古本屋の妻の話より

ここだけ読むと、物悲しくも胸の温かい場面に思われるでしょう。
しかしこれが食事時に一切会話もしなくなって久しい夫婦なのだから、素直に心を温められないところがあります。
慣れというのはやっかいで、長年の経験から妻は夫への対応をすっかり心得ていると思っているようでした。

ですから自然と、お互い会話でのやりとりが最小限になってしまいます。
そんな冷めた夫婦の様子でしたが、意外なことにこの話は読み進むにつれて夫婦の印象が少しずつ変わっていきます。
冒頭で夫は妻に対して、冷淡とすら思える反応ばかりしていました。

でも話の最後のなると、妻に対してあれ?と感じるところがたびたび出てくるのです。
もしかして、冷たいところは妻にもあるのではないかと。
夫婦というものは、おかしな関係だとつくづく思わせられました。

納得! 過保護な飼い主がねこに嫌われる理由

お母さん、わたし、いい子でもないし、かわいくもない、やさしくもないんだよ。
どんなに言っても、お母さんは私の話を聞こうとしないから、だんだん腹が立ってくる。
いい子でもない、やさしくもないわたしを認めろ!
自分の願いを押し付けるな!本当の私をちゃんと見ろ!
思い知らせてあげようと、お母さんが出かけてある日、私は家じゅうを走りまわる。
お母さんのところに行ってきた猫より

うちのコもこんなことを考えて家の中を引っかき回したのか。
ねこを飼ったことのある人が、少し反省してしまうような話でした。
この話の主人公は、行動力がありその振る舞いはまるで反抗期の娘のようです。

彼女のお母さんと呼ぶ人はもちろん飼い主のことです。
そのことをねこである彼女は後で知ります。
家ねこであったのに、たまたま抜け出した外で楽しく好きなねこもできちゃいます。

そんな楽しい出来事が続きねこはお母さんが嘘をついていると思い部屋を荒らしてしまいます。
外が、楽しくて怖くないことを隠していたと、今まで頼りきっていたお母さんへ向ける彼女の不信。
それはもはや、十代の若い女性とそう変わらない心境でしょう。

“ない”と信じるくらいなら、“ある”と信じる方が良い

「それは君が真面目に耕さなかったからですよ。どんな良い畑でも耕し、種をまき、水を撒かなければなにも稔らんよ。君はそれをしないで、こんな畑は駄目な畑だと、信じて二束三文で売り払ってしまったんだよ」
100万円もらった男より

「才能を買いたい」と持ちかけられ、思い違いから「才能を売ってしまった」男の不思議な損の話です。
「自分の畑が、二束三文だと信じた」この言葉は、なかなか胸にくるものがありました。
自分の才能を信じて時間を惜しまず、手間をかけてさらには潤わせ続ける。

なかなかできることではありません。
何かをしていると、気が強くない者は途中でくじけたり投げ出したくなることがあります。しかし、「そんな言い訳じゃ、なにもできないよ」とばかりに作中の男は主人公を言葉で切り捨てます。
その通りだと思う反面、できてるかな?とも不安になります。
自分をどのように信じるかよく考えなくてはいけないと、感じさせられる話でした。

愛があれば、何をしても良いわけじゃない

二人が年を取ってからの子供である若い僕は、
「ああ、この会話の流れ、何度めだろう。次は父さんが“あの時そんなこと言っていないだろう!”、で母さんが“言いましたよ!どうして忘れたふりをするんですか?”だ」
と予測できて、だいたいその通りの流れになる。

あるいは、ケンカというのは言葉が飛び交いながらも、本当は何も考えてなくて頭なんかカッカして沸騰中だから若くて頭がしっかりしていても、つねに同じ道を辿るのかもしれない。

黒ねこより

夫婦ゲンカは犬も食わないとはいいますが、今回はねこを巻き込んだケンカが最後にとんでもないことになった、ねこと夫婦の話です。

ねこはいつもケンカばかりしているお父さんとお母さんにうんざりしていながらも、二人の仲を取り持って毎日を過ごしていく。
それがねこの日常でした。

しかしそんなある日のこと、ねこの目の前でついに事件が起きてしまいます。
この話を読み終わったとき、やるせないという気持ちが浮かびました。
夫婦に多少なりとも愛は残っていたばかりに、よけいにこじれてしまうのは悲劇以外の何者でもないでしょう。

「嫌い」で「愛しい」ねこの家族

言葉にできる感情というものは一体いくつあるでしょう。
少なくとも、心の中にあるものより少ないことは確実です。
絵本のねこは最初から一緒に暮らしている人を嫌いだと言い続けました。

大好きだった白いねこのことも、ついに愛しているとは口にしませんでした。
最近はすぐに答えや釈明を聞きたがる人が尊ばれます。
でもそれだけでは、人の生があまりにわびしいモノになり下がってしまうように思います。すぐに出た答えなんて、すぐに変わってしまうものです。

逆に少しずつ積み重なった思いは、たいてい気づかないうちに重く身になじんでいくものです。
言葉にならない感情も、案外捨てたものではないものじゃないと思いたいものだと信じたいですね。