書評

勇気を出してでも、「嫌われ」なければならないこと

勇気を出してでも、「嫌われ」なければならないこと

最近は、かたくなに我慢強い人をよく見かけます。
いつもニコニコまわりに優しく、弱音なんて見せません。
そんな心の中で歯を食いしばっている人のなんと多いことでしょう。

『今さえ乗り切れば』『私が我慢すれば』そんな言葉を胸に日々の生活を乗り越えている。それはよく分かるのですが、ちょっと待ってください。
それって本当に、うまくいってるのでしょうか?
自分に向けられる全ての頼みや期待には、できることなら応えたい。
それが必ずしも悪いことではありません。

しかしそんなことばかりしていて、自分を幸せにしていると本当に言えるのでしょうか?
もちろん、逆に全てことをつっぱねろという訳ではありません。
それでは人間関係があっという間に崩れてしまいます。
じゃあ、どれを受け入れてどれを突っぱねれば良いのでしょう。

そんな時に紹介したいのが、今回の本。
岸見一郎・古賀史健がダイヤモンド社から出版した『嫌われる勇気~自己啓発の源流「アドラー」の教え』。
哲学書の一つでありながら、たった二人だけの対話しか書かれていません。
驚くほどとっつきやすい内容になっていました。
なのに発行部数が200万部を軽く越えている今でも、ベストセラーに居座り続けているモンスター書籍なんです。

良い人ほど過労になっていく姿は、側でみていて辛いモノがありますし、自分自身がそれとは気づかないのも大変危険な状態です。
ですからもし誰かが疲れていたり自身が疲れているのなら、軽い気持ちでかまいません。
心が疲れて身体を壊してしまう前に、どうぞこの本を一度取ってみてください。
78488もしかしたら、疲れている理由が、分かるかもしれません。

「アドラーって誰だっけ?」それが彼の理想です

哲人
「『私の名前を誰も思い出さなくなる時が来るかもしれない。アドラー派が存在したことすら、忘れられてしまうかもしれない』
しかし、彼はそれでも構わないと言います。
アドラー派の存在そのものが忘れられること、それは彼の思想が一学問分野から脱皮して人々の「コモンセンス(共通感覚)」となることを意味するからです」

最初、忘れられてもいいなんてアドラーって薄情な人だなと思いました。
しかしよく読み解いてみると、どうもそうではないようです。
『コモンセンス(Common Sense)』とは、「共通認識」や「良識のある常識」という意味もあります。

その意味を考えるとアドラーの最終目標はどうやら自身の哲学を「学ぶもの」ではなく、考えるまでもない「当たり前の良識」にすることが目的だったようです。
この本は簡単に行ってしまえば、落ち着いて対話を楽しむ「哲人」とコミカルなまでに悲観的な「青年」がただ対話をするだけなのです。
しかしこの本を読み進めていくと、不思議と引き込まれ自分の過去を振り返り考えてしまいます。

それに哲人は言葉の真意を分かりやすくと説明してくれますから、青年の気分で哲人の説明にのめり込んでしまいます。

心に刺さる「変わらない」決意

哲人
あなたは変われないのではありません 。
人はいつでもどんな状況に置かれていても変わります。
あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。

この言葉に、強く反論したい人は多いのではないでしょうか。
事実、相手の青年は強く反発しています。
このように哲人はその穏やかな口調とは裏腹に、かなり心に刺さる言葉を青年にひいては読者にたくさん投げかけてきます。

その後はちゃんと説明してくれるのですが、それにしてももう少し優しく言ってほしいと思います。
でもきっとこの感情こそが、哲人の言う「幸せになる勇気」がまだ足りないということなのかもしれません。

会話に勝ち負けを持ち込むこと

哲人
人は、対人関係のなかで 「私は正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

これは人によってはかなり難しい課題でしょう。
自慢してはいけない、権力争いをしてはいけない。
およそ資本主義の日本で生きていると、一度はしなければいけないことですからこれは辛い。

入試や就職の面接はもとより、果てはアプリゲームのレアキャラ自慢なんてのもそれに当てはまってしまいます。
マウントする相手に感情的には決して立ち向かってはいけないと、確かによく言われます。
しかしではなぜなのかって、分かる人はどれだけいるでしょうか。
哲人はその説明を分かりやすく説明してくれます。
そして、その危険性も。とは言っても、すぐには捨てられないのもまた人情。

でも、気をつけてください。
人に自慢したい、特別に見られたい、そんな欲求が強い人はよくよく言葉を選んで行動しなければなりません。
でなければ、どうやら一人では解決できないところへと落ちていってしまうようなのです。

現代人に今必要な意識 「課題の分離」

哲人
「ある国に『馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない』ということわざがあります。(中略)」
青年
「カウンセラーは相談者の人生を変えてはくれないのですか?」
哲人
「自分を変えることができるのは、自分しかいません」

責任を追及すること事態が悪いことではありません。
でも、「私がこうなったのは、家族のせい」また「彼がああなったのは、恋人の私のせい」と言う人はよくいます。
アドラーの主張はこれを真っ向から否定してきます。

つまりその人の行動の責任は、どこまでいってもその人の責任でしかないというのです。
突き放した主張にも思えますが、自分自身が追うべき行動の責任を誰かに押しつけないというところはひどく誠実なそしてどこか優しさを含んだ向き合い方だと感じます

まとめ

アドラーは人の全て悩みは対人関係からくるものだと、言います。
その中で私たちは意識・無意識にかかわらず、依存したり責任をなすりつけ合ったり他にもたくさんの越権行為でストレスを貯めていくようです。

なのでそのストレスから解放されるために彼は以下に書いた「二つの行動の目標」と「二つの意識の目標」を念頭に置いて生活しなさいと主張します。
そうすれば、必要以上にストレスを抱えずに生きていけるとかたります。

行動の目標
 自立をすること。
 社会と調和して暮らせること。

行動を支える意識の目標
 自分には能力がある、という意識
 人々は仲間である、という意識

キレイ事だ、できる訳ない、そう言いたい人もいるでしょう。
実際、もう一人の登場人物「青年」はそうと言いますし、怒ったりもします。
しかし哲人は慌てません。その青年に時間をかけて説明をし、考える時間も与えます。
この本では責任のありかをきっちり決めることの大切さを教えてくれます。
何が私たちの幸せにつながっていくのか、もう一度よく考えることが必要なのかもしれません。