書評

苫野一徳『愛』を読んでみた感想! 「愛」とは何か哲学的に考えてみたい人にオススメの本!

苫野一徳『愛』を読んでみた感想! 「愛」とは何か哲学的に考えてみたい人にオススメの本!I

「愛」という言葉ほど、使い古されていながら定義の難しい言葉もありません。
恋に落ちた青春期の純朴な若者ならば、「愛」とは何か真剣に考えてみることもあるかもしれません。

しかし普通私たちは「愛」という言葉を、「大好き」や「恋」といった言葉とあまり区別することのないまま使っているようにも思います。
『愛』は、哲学者・教育学者の苫野一徳氏が「愛」とは何か、現象学の立場から徹底的に考察した本です。
疑いうることができる一切の仮説を保留して、私たちが「愛」を感じるときにそこにはどんな共通構造があるのか根本から考え抜いています。

「愛」の本質を知ることは、きっと私たちが「真の愛」を実現する助けとなるでしょう。
そして、「真の愛」を実現することには必ず幾ばくかの人間的成長も伴っているはずです。
この本は、哲学に興味のある人はもちろん、「愛」について考えることを通して自分自身を見つめ直してみたい人にもオススメの一冊です。

よかった箇所①『〝真の愛〟の条件』

それを〝真の愛〟と呼ぶ限り、わたしたちは、相手は〝このわたし〟には絶対に回収し得ない存在であるという意識を持っている。
〝このわたし〟に、相手を決して回収しないという意志を持っている。
「絶対分離的尊重」は、〝真の愛〟の欠くべからざる本質なのだ。
「存在意味の合一」と「絶対分離的尊重」の弁証法。
これこそ、〝真の愛〟の最も根本的な本質にほかならないのだ。

私たちが誰かに〝真の愛〟を感じているとき、まるで相手の存在が私たちの生きる意味であるかのように感じます。
それでいながら、相手のことを自分とは異なった存在として尊重しようという思いもあります。
この境地を苫野一徳氏は「『存在意味の合一』と『絶対分離的尊重』の弁証法」と呼びます。

相手が存在する意味がそのまま自分自身の存在意味でありながら、相手を自分と同一視してしまうことなく自分と異なった存在だとして大切にできる、ある意味パラドキシカルな関係です。
相手を求めるばかりで、相手を自分とは違った存在として大切にすることができなければ、それは〝真の愛〟ではなく「所有欲」や「支配欲」だと呼ばれてしかるべきものでしょう。

〝真の愛〟を実現するためには、相手と自分は「二人で一つ」だと思うばかりではなく、相手と自分はあくまでも違った個体だとして、相手と自分の両方を大切にすることができなくてはならないのです。

よかった箇所②『絶対分離的尊重を実現するために』

フロムの言う、理性による「客観性」への到達。
そしてわたしの言う、「承認される経験」。
これはどちらも、同じところを目指している。
すなわち、自己鏡像からの解放。
わたしは、私自身をそのあるがままにおいて承認し得ない限り、人を愛することなどできないのだ。

苫野氏は、「存在意味の合一」と「絶対分離的尊重」のうち、「存在意味の合一」は比較的容易に感じられるといいます。
激しい恋愛のさなかにあり「相手と自分は二人で一つだ」と感じているときなど、まさに「存在意味の合一」を実現しているといえるでしょう。
また、乳児が母親に抱く愛着も「存在意味の合一」だと言えるかもしれません。

難しいのは「絶対分離的尊重」です。
特に自己不安を持つ人は、その反動として歪んだナルシシズムを抱いてしまいがちです。ナルシシズムを抱いた人間は自己中心的な価値観を持ってしまうので、相手のことを自分とは違った人間として大切にすることができません。

ゆえに〝真の愛〟を実現するためには、まずはナルシシズムや、その原因である自己不安を克服する必要があるのです。
そして自己不安を克服するためには、「承認される経験」が有効だといいます。
教育学者であり大学教員である苫野氏は、「親、保育者、教師などの一つの存在意義はここにこそある」と言うのです。
先輩として後輩を指導するときや、友人と関わるときにも、念頭に置いておきたい箇所です。

よかった箇所③『愛と人間的成熟』

「愛」もまた、「善」と同じく高度に〝理念的〟な概念である。
それゆえわたしたちは、意志をもってだれかを愛することができるし、意志のないところに〝真の愛〟は成立しないとさえ言える。
それはすなわち、「存在意味の合一」をわたしに与えるこの人を、しかし同時に、わたしとは絶対的に分離された存在として尊重しようとする意志である。

「愛」は情念でもあり理念でもあります。
一方、「恋」は情念であってもあまり理念的ではありません。
情念と理念との違いは何でしょうか。
それは「情念」は私たちの意志に関わらず私たちに訪れるものであるのに対して、「理念」は私たちが意志しないと実現しないものだということです。

たとえば、「この人に恋しよう」と意志して恋に落ちる人はいません。
恋は私たちの意志に関わらず「落ちてしまう」ものです。
それは恋が、理念ではなく情念だからです。

しかし、〝真の愛〟には、意志しない限り到達することができません。
相手を自分とは違った存在として尊重しようとする意志がなければ、支配欲や所有欲になってしまいます。それは「愛」が理念的なものだからです。
相手を自分とは異なる存在として尊重できるようになるためには、人間的な成熟が必要です。
自己不安を抱えてナルシシズムに陥ってしまえば、相手を単に自分の欲求を満たすための手段として見てしまうことになります。

〝真の愛〟を意志することは、人間的成熟を意志することでもあるのです。

まとめ

この本は、〝真の愛〟に到達するには、相手と自分を同一視してしまうことなく、相手を尊重することが必要だということを教えてくれます。

また、〝真の愛〟への到達を妨げるナルシシズムと、その原因である自己不安を解消するために、教育者が果たすことのできる役割についても教えてくれます。
教育者は「承認される経験」を与えることで、生徒の自己不安を解消する助けとなることができるのです。

『愛』は、哲学に興味のある人や、教育に携わる方々に広く読んでもらいたい本です。