書評

『静かな雨』を読んでみた感想!心洗われたい方にオススメの本!』

今回ご紹介するのは宮下奈都『静かな雨』という作品です。

唐突ですが、記憶ってどこに残るのでしょうか?
脳?心臓…?
私は上記のどちらかと思っていたのですが、この本を読んでその考え方が変わりました。

切なくも温かいストーリーの本作は、2016年に『羊と鋼の森』で本屋大賞を受賞した宮下奈都先生のデビュー作です。

「まだ宮下先生の作品詠んだことない…」
「心洗われたい…」

そんな方にぜひ読んでほしい1冊です。

【行助とこよみの出会い】

この作品の中心人物行助は、勤めていた会社が倒産することを知った帰り際、たいやき屋に立ち寄ります。
行助はそのたいやきの味に感動し、とっさに店員に声をかけました。

たいやき屋を営んでいたのは、「こよみ」という名の女性でした。

ひとくち食べて、あ、と立ち止まった。おいしい。
もうひとくち食べてみる。なにこれ、おいしいじゃないか、ものすごく。
僕は店に引き返して、閉められていた窓を指でたたいた。
ガラスの向こうで鉄板を磨いていた女の子が顔を上げた。
「これ、おいしい」咄嗟にいえたのはそれだけだった。

声をかけてしまうほどに美味しいとは…。
私も食べてみたいと思ってしまいます。
また、上記の引用部分は、たいやきを食べてから声をかけるまでのテンポが良くて、その時の行助の気持ちや行動がするっと入ってきて大好きな箇所です。

これが行助とこよみの出会いでした。

序盤は行助がたいやき屋に通う場面、こよみに惹かれていく過程が丁寧に描かれています。私は、行助の心の状態を表した次の表現がイチ押しです。

いつも、ありがとう。
こよみさんが薄紙に包んだたいやきを手渡してくれながら僕にいった。
それだけで体温が二度ほど上昇するような、胸元からバンビでも飛び出してくるような気分だった。

胸からバンビ。言い得て妙。
この作品は行助目線になっているので、彼の胸中が中心に描かれています。
ところどころの可愛らしい不思議な表現が癖になりますよ!

【新しい記憶を留めておけないこよみ】

行助とこよみの仲が深まってきたころ、こよみは交通事故に巻き込まれ約3か月間眠り続けます。

目が覚めた時、こよみは事故に巻き込まれたときの記憶がなく、検査の結果『高次脳機能障害』であることが分かりました。
彼女は短期間しか、新しい記憶を留めておけない状態になっていたのです。

その日の記憶は眠ってしまうと消え、事故に遭う前に戻ってしまいます。
行助はこよみの力になろうと奮起しますが、何度も壁にぶち当たってしまいます。

だけど、もっとささやかな、朝ごはんにおいしかった干物だとか、洗濯物を干すときの癖だとか、ふたりで歩いた帰り道に浮んでいた月だとか、そういう日々の暮らしの記憶が積み重なっていかないことがたまらない。

行助の思いがひしひしと伝わってくる箇所です。
何気ない暮らしの記憶を共有できないことがこれからも続くと思うと、胸が締め付けられます。

序盤がほのぼのだったので、ここからの急展開はなかなかにつらいです。

昨日の記憶がないこよみに当たってしまう行助。
しかし、行助がブロッコリを嫌いだということをメモした紙が、部屋でいくつか見つかります。
そのとき行助は、「今日のこよみさんのそばにいよう」と決めるのでした。

【記憶はどこにあるのか】

お月見の日に行助とこよみは満月を眺めます。
月を見ながら行助は「今が続いてほしい」と切に願うのです。

目が覚めた明け方、月が明るいのに雨が静かに降っていることに行助は気づきます。
そばにいたこよみがその情景を見て泣きました。

行助はふと、こよみが昨日の満月を覚えているのではないかと感じました。
こよみは、全部覚えてないわけじゃない、と言った後、次の言葉を口にします。

「昨日見た夢が脳裏をよぎるみたいに、いつかの場面が一瞬よみがえることがあるの。
でも速すぎてつかまえられない。
そこにあった色や形みたいなものが、目の前をかすめていくの、まだ温かいままで。
ふっと残像が消えて、もう戻らない」

こよみは記憶を留めることができないはず。
でもどこかに染み付いていて、何かの拍子に目の前をかすめていくのです。
こよみのどこかに記憶はあるのではないでしょうか。

そんなこよみの姿を見て、行助は記憶について考えを巡らせていきます。

生物の身体は腸管から発達したものだという説がある。
〈略〉心臓に記憶があるなら、命に最も近い贓物が記憶を持っていてもおかしくないと思う。
こよみさんの記憶は舌に宿るのではないか。
〈略〉脳に記憶が刻まれなくっても、日々が何も残していかないわけではなかった。

この考察はなかなかに興味深いものです。
記憶が脳や心臓だけでなく、舌や腸にもあるのだとしたら、こよみのどこかにも記憶があるかもしれません。

こよみは、記憶がとどめていけないにもかかわらず、毎日少しずつ自分の店のたいやきをおいしくしていっています。
もしかしたら舌に記憶があるのかもしれません。
耳にだってあるのかもしれない。

人の至るとことに記憶は染み付いているのではないでしょうか。
脳や心臓だけでなく、記憶の在り処はもっとたくさんあるのではないでしょうか?

ラストではこよみが、新作のある曲を「なんか聴いたことあるような」と言ってCDを聴くシーンが出てきます。
その曲がはなんと前の日曜日にかけていたものだったのです。

こよみの中にある記憶。
確固たるものではなくても、きっとそこに「ある」。

記憶の在り方について深く考えさせられる作品でした

【まとめ】

今回は宮下奈都『静かな雨』をご紹介しました。
行助の心情の変化がたくみに描かれています。

一緒に月を見るシーンも幻想的で、嬉しいような切ないような気持ちで満たされました。

「記憶について今一度考えてみたい」
「行助の表現のしかた気になるな…」

と思った方、ぜひ読んでみてくださいね。