トム・ゴドウィン『冷たい方程式』を読んでみた感想
今回ご紹介するのはトム・ゴドウィン作の『冷たい方程式』という作品です。
タイトルの意味に首を傾げる方も多いと思いますが、読後にその意味が痛いほどに伝わってくるでしょう。
今も多くの人に愛される、悲しく切ないSF小説ですが、倫理的な観点からも考察できる内容になっています。
物語自体は長くなく、1、2時間あればさくっと読めるので、
「長くて難しくないSF小説ないかな?」
という方に1度は読んでみてほしい作品です。
【パイロットの前に立ちはだかる究極の選択】
EDS内で発見された密航者は、発見と同時にただちに艇外に遺棄する。
主人公の「彼」はEDS(緊急発進艇)スターダストのパイロットをしています。
EDSは緊急事態の起きた世界へ物資や人員を送り届ける艇のことを指します。
ただこのEDS、「必要最低限の燃料しか積むことができない」んですね。
この決まりがいかに厳しいものであるか、後に分かってくるのですが、ここでは淡々と1文だけで記されています。
この法がなんと残酷か。
スターダストはウォードンという惑星に血清を届けるために発進しました。
ウォードンに血清を届けなければ6人の隊員が死んでしまうんですね。なかなかにハードなミッションです。
しかし、発進後に、パイロットは「密航者」の存在に気付くのです。
その密航者はなんと浮浪者でもなく、悪人でもなく、1人の少女だったのでした。
自分の兄に会いに行きたい一心から一人でスターダストに密航していたのです。
その事実を知った時、さきほど引用した1文がいかに残酷なものなのか痛感させられます。
この小説は、事実を淡々と説明している箇所が多いように感じます。
でもだからこそ、「あの1文はとても重要だった」「なんて重い1文なんだ…」と後々読み返す面白さがあります。
【密航者は純粋な一人の少女】
どうして彼女でなく、何かいうにいわれぬ動機のある男が来なかったのか?〈略〉こんな青い娘などは、いままでひとりとしていたことはなかった。
ほんとうにこれ。
もう、
「どうしてだよおお!?」
と言わずにはいられません。
密航者が逃亡者や日和見主義者なら、船外に遺棄しても合点がいきます。
しかし、「兄に会いたい」という気持ちひとつでやってきた少女だとは、パイロットも予想していなかったでしょう。
純粋で無知で、罰金を払いさえすれば許されると思っていた少女。
でもそう甘くはないのです。
密航者を「少女」にしたことはこの物語にとって大きな意味を持つと思います。
罪のない、死ぬことなんてないはずの彼女をどうにかして助けることはできないか?
と考えずにはいられなくなるのです。
しかし彼女の生存はすなわちウォードンの隊員6人の死を意味します。
この「事実は痛いほどわかっているのに、どうにかできないかと考えてしまう」設定が本当に巧みだと思います。
「わたしが死ぬ、あなたがそれをする、でもわたしは死ぬようなことはしてないわ――死ぬようなことはなんにも――」
少女がパイロットに向けて言った言葉です。
何も間違ったことは言っていないのです。
でも、この状況では彼女をどうにかすることはできません。
少女の言葉もまた、飾り気のない真実を投げかけています。
パイロットだけでなく、私達読者に対して言葉を放っているような感覚になるんですね。
【抗うことはできない自然での法則】
EDSは物質的法則だけに従う。彼女に対して人間的同情をいくら与えようと、第二法則を変えることはできないのだ。
前にも書いたのですが、「わかっているさ!」と言わずにはいられないことを、この物語はこれでもかってくらい淡々と鋭く述べているんですね。
私たちはどこか、少女を救えるような展開があるのではないかと期待してしまいます。
何かありえないような事件が発生して、解決できて、なんやかんやハッピーエンドな結末があるんじゃないかと考えます。
でも、この物語は一貫して悲しい現実を何度も何度も述べているんです。
語り手は、私が「人間的同情」を持ってこの物語を読んでいることを見透かしています。
語り手は見透かしたうえで、私たちに「どうにもならない現実」を突き付けていて、なんとも不思議な気持ちになります。
Sなのでしょうか。
物語をこえて、たくさんの言葉が自分に問われるような感覚になるので、物語が短いながらも考察が広がるのです。
燃料の量hは、質量mプラスxのEDSを安全に目的地に運ぶ推力を与えることができない。〈略〉自然の法則にとっては、彼女は、冷たい方程式のなかの余分な因数に過ぎないのだ。
ここで、タイトルの意味が分かります。
そして、「少女が救われないであろうこと」を暗黙のうちに記しています。
少女は家族に手紙を書き、最後に兄と連絡を取り合い別れを告げるのです。
「この世に人間の心を介入することができない現実がある、という悲しさ」をこの物語は軸としていますが、それ以外に「少女の心の変化」もまた見どころでしょう。
少女は、最初こそ、真実を知ると体を震わせ怯え、どうにか助かる方法はないのかと身を乗り上げます。
しかし、ゆるぎない法則を知っていく上で、彼女は自分がどうするべきか考え、理解していくのです。
主人公のパイロットが自分を助けようと努力していたのだと少女は兄に告げます。
そのとき、少女の下唇はもう震えていないのです。
「わたしはもう泣かない」という決心も告げています。
最初の怯えた姿がだんだんと変化していく様も注目すべきポイントでしょう。
SF小説の要素を持ちながら、人間の心の変化も描かれた作品です。
最終的に少女は自然法則による「方程式」に組み込まれることはありませんでしたが、この物語自体はパイロットが少女のために奮闘する姿や、少女と兄とのお互いを思いやる姿が描かれています。
そのためとても読みごたえがあるんです。
【まとめ】

今回は悲しく切ないSF小説『冷たい方程式』をご紹介しました。
この物語は、人間的な同情を組み込もうと思ってもできない、悲しくて美しい方程式があることを私たちに知らしめます。
誰もが「少女を救うこと」「ウォードンの隊員を救うこと」の両者を成立させたいと考えますが、どうやっても変えられない方程式がそこにはあります。
物語のタイトルの意味や、淡々と述べられてきた1文の重みに読後はふうっと息をつきますが、内容としては分かりやすく、手に取りやすい一冊です。
この本には『冷たい方程式』以外にもいくつかのSF小説が掲載されているので、SF入門だと思って読んでみることをおすすめします!